コラム
COLUMN

包丁の事ひとまず後編

工具に関する豆知識
包丁
岩槻店スタッフ 植田 修久
植田 修久岩槻店

皆様こんにちは(_ _)

今回も前回の続きの「包丁」について書かせて頂きたいと思います。

おかげさまで岩槻店にある包丁は順調に売れており、また買取も持ち込んで頂きまして誠にありがとうございます!
これからも皆様に喜ばれるモノ、あると良いなと思われるモノをご用意し、また買取させて頂ければと思います。

上記の写真は岩槻店に入ってきた包丁になります。

既に売れてしまっている包丁もございますが、右二つは東京の昔ながらの道具街がある、合羽橋と日本橋の有名な刃物屋さんの代物でございます。
多くの料理人さんが集う街、東京ではやはり包丁を取り扱うお店も多く存在し、数千円からの安価な包丁から、ウン十万円もするプロの方の為だけの見てるだけで吸い込まれそうになる包丁までございますが、今、日本の包丁の需要は大きく変わっていっております。
それは海外の方からの需要が上昇しているという事です。
日本の刃物技術は独自の発展を遂げ今日に至っておりますが、その切れ味、丈夫さ、多くの種類、機能性に惚れ込む海外の方が多く、
国内では衰退する一方で、外国では多くのユーザーやファンを獲得しております。
その人気はすさまじく今では和包丁の輸出金額は80億を超えております。

日本の刃物の名産地と言えば少しでも興味を持っている人でしたらピンとくると思われますが、新潟の燕三条・岐阜の関・大阪の堺です。

その他にも有名な所はございますが、特に包丁となるとこの三都市になります。

燕三条は一つのエリアではなく、新潟の隣り合った燕市と三条市を合わせた呼称です。

新潟の燕三条は古来から須恵器と呼ばれる陶器作りが盛んに行われておりました。
昔からある豊富な水資源や須恵器にも使われている山の斜面を利用した釜が徐々に製鉄に用いられるようになり、日本独自の釘「和釘」を江戸時代ごろに多く生産したことにより、そこから燕三条は金属加工業が盛んになり多くの鍛冶師が集う街となり発展していきます。
その為包丁だけではなく、鎌などの農機具から、大工道具の鉋や鑿、フライパンや鍋や爪切りまで多くの物を作っております。

岐阜の関市は刃物のルーツを鎌倉時代にもつ歴史の長い伝統の街です。

多くの方が耳にしたことのある名前「関孫六」はここで作られております。
刀などの刀剣を古くから鍛えており有名になった関は廃刀令が下った後はその技術を生活や仕事に使われる刃物へ活かすことにより今日へと繋がっております。
関刃物は国内で製造される刃物の約7割のシェアを持っております。

最後に大阪の堺市です。

堺市もまた多くの鍛冶師が集まった街であり、そのようになったのは仁徳天皇陵を作る際に必要なものを製造するために集まった為になります。
そして堺の包丁が日本全国に有名になるきっかけとなったのがポルトガルから伝来されたタバコによるところが大きく、タバコを吸う際にはタバコの葉を切る必要がありその為の刃物も必要になりました。その影響により堺でタバコ包丁なるものが作られ、その切れ味の良さが全国に広まり堺の包丁は有名になりました。
堺市は刃物の全国のシェアは7%と小さいですが、プロ用和包丁のシェアになりますと90%となるほどの信頼性です。

今回は有名な包丁の産地を少ない分ながらご紹介させて頂きました。
まだ書いても良いかなと思える部分はございますが、次回はどうしようかなと思う部分もございます。
気が向けば包丁の事を書かせて頂きますが、肥後守の事も書きたくなってきました。

そんな従業員がいるアクトツールをよろしくお願い致します(_ _)

岩槻店スタッフ 植田 修久

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俺は『植田 修久』。通称『山羊野郎』。自慢の修理技術で、壊れた工具もみんな現役バリバリさ。
今までの経験を活かして、ゆりかごから墓場まで行くうちに、何でも直してみせるぜ!
悪鬼羅刹の如く出で立ちは、人々を震え上がらせる。しかしながら、時折見せる笑顔は人々を癒す。

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